パッヘルベルのカノンが流れている寮の食堂()。食事を受け取るカウンターの上には額縁が飾ってあり、中には、汝は生くるために食うべし、食うために生きるべからず()、という、禅問答のような言葉が入れられている。

「先輩。訊きたい事があるんですけど」

 朝食の納豆をかき混ぜながら、東堂(とうどう)京子(きょうこ)は言った。

「何?」

 生卵をかき混ぜながら、西藤(さいとう)享子(きょうこ)は返答した。京子は、先生方には訊き辛いから先輩に訊くんですけど、と前置きすると訊ねた。

「この戦争って、何が原因で始まったんですか?」

 すぐに返答せず、卵に醤油を注ぐ享子。そして。

……それを知ろうとするのは、重大な違反行為よ」

 重みのある声で言った。すみません、と京子が即座に謝罪すると、

「あ、ごめん。今のはウソ」

 ころり、と口調を戻してそう言うと、卵を御飯の上にかけた。

「ホントはね、私も知らないの。私も小さい頃に、周りの大人に訊いたわ。何があってこんなことになったのか、って。誰も答えてくれなかったし、誰も答えられなかった。わかったのは、ある日、突然海外との連絡が絶たれて、所属不明の軍隊が侵入してきた、ということだけ」

 そこで享子は、よく和えた卵御飯を静かに、しかし勢いよく口の中に入れ始めた。それを見て京子も納豆を食べ始める。

 空になった茶碗をトレイに置くと、享子は口の中で呟いた。

……もしかしたら、この国にいる誰もが、知らないのかもね……」 

 それは口外には出ず、京子には聞こえなかった。

 

「よっ、西藤」

 自室に戻る途中、二人は廊下で沖南(おきなみ)和美(かずみ)と出くわした。

「あら、戻られたんですね、和美さん」

 おう、と返事をしたところで傍にいる京子に気付く。

「あれっ。お前、妹分ができたんだな」

「はい」

 和美は京子に近づくと、無遠慮に頭を鷲掴みにして、

「西藤の同輩で沖南和美だ。よろしく」

 そう言うと、にっ、と笑って頭をわしわしと撫でた。京子はただどうしていいか分からなくて固まっている。享子はにこにこしながら、

「いきなり頭を撫でられても、される方は困ってしまいますよ、和美さん。ところで、あちらはどうでしたか?」

 そう話を始めた。

「民間の犠牲者は無し。白百合は三人死んだ」

 その言葉に、京子は頭を上げる。

「一人は相手に銃口を向けたものの、引金を引くことができずに撃たれて。一人は民間人の盾になって。一人は戦場のストレスで銃を咥えて自殺。三人とも新人で、初めての実戦だった。もう数え切れないほど体験したけど、仲間の死はいつまでも慣れるもんじゃないね」

 そう言って深い溜息をついた和美を享子は優しく抱きしめると、肩を、ぽんぽん、と叩いた。和美も享子を抱きしめると、ありがとう、と礼を言った。

 

 戦争経験者と戦争処女との間にある、見えない境界線。

 

 後者である京子は何も言えず、ただ疎外感を感じていた。

 

 

 

 

 

……食事の時にはリラックス効果がある音楽を流すようにしている、とする。

……キケロ『哲学談義』より。