おうちより少し硬いベッドで目を覚ます日曜日。
いつものじゃないけど見慣れた天井。掛け布団から香る誰かさんの匂い。そんなものにほわほわぼんやりしながらイヴは床を見下ろした。そこには来客用の布団が敷かれていて、そこで寝ていたはずのギャリーはもぬけの空だった。
「あれ?ギャリー?」
どこ行ったんだろう。今日は家でくつろぐから泊まりに来ていいって、言ってたはず。
ベッドから降りて、パジャマのまま探して歩く。と言ってもアパートのワンルームなんてぐるりと見渡せば事足りる。イヴはすぐにテーブルの上の書き置きを発見した。
『ちょっと呼びだし受けちゃって大学に行ってきます。すぐに戻るからゆっくりしててね。お腹すいたら冷蔵庫の中のもの好きに食べてていいからね。なるべくすぐ戻るわ。本当にごめんね。 Garry』
という文面に手書きの絵文字がちょこちょこと添えられていた。
筆跡自体はちょっと斜体気味で所謂丸文字ではないのに、なんだかアンバランス。でもなんだかギャリーらしいな。思わずイヴはくすりとした。
その時の息がちょっとだけ喉にひっかかる。
…おなかはすいてないけど、喉が渇いたかも。イヴはとてとてと冷蔵庫に歩み寄った。ジュースとかあれば貰っちゃおう。

かぱっと開ければ中身はほとんどない。でも、おかげで缶ジュースをすぐに見つけられた。
なんだかおしゃれで可愛いラベルの缶だ。こんなジュースどこに売ってるんだろう。
でもジュースには違いないはずだ。

カシスオレンジって、書いてあるもんね。




「たーだーいーまー…。」
ギャリーが帰ってきたのはそれから2・3時間後。
「ああもーやんなっちゃう、花の日曜日になんだってのよーもー…ごめんねーイヴ、置いてっちゃって。ひとりでつまんなかったで…しょ?」
帰ってみるとソファにちょこんとかけたイヴがこちらを見上げていた。心なしか、とろんと。あらまだおねむさんなのかしら、なんてのんきな発想はイヴの手元を見た瞬間砕け散った。
「ぎゃりー、おかえりぃー。」
「―――ッいいいいいいいいいイヴううううううう!?!?!?アンタちょっ、ちょっ、ちょっ、何飲んでんのおおおおおおおおお!?!?!?」
血相変えて駆け寄るギャリーに、「う?」とイヴは可愛く小首を傾げた。
「えっと、じゅーす。」
「そそそそれはジュースじゃ、ジュースじゃない!!」
「え?でもあまいよ?」
「甘いかもしれないけど違うの!それお酒よお酒…!!」
あああああなんてことなの…。血の毛の引いた顔でイヴの手元を見つめた。
カシスオレンジ。洒落たその字の傍には小さいながらきちんと書かれている。Alc、3%。
「おさけ…?」
「そうよそれはお酒。子どもが飲んじゃダメなのよ…。」
「ふあ…だめだったんだ。ごめんなさい。」
「仕方ないわよ…というかぽいっと置いといたアタシが悪いわ…。」
あああどうしよう未成年にこんなもの飲ませちゃってイヴのご両親になんて詫びればいいの…。うなだれてどんより呟くギャリーの、服をつまんでくいくいひっぱった。
「ぎゃー、りー。」
「え?何どうした……の?」


ふにゅ、と。
マシュマロみたいな触感が唇に触れた。


「―――――。」
ぽーんと飛んでった思考回路が、戻ってくるまで数秒かかった。
「………………え?」
「? なぁに?」
「なぁに、って。」
なぁにって言われましても。いや、え?ちょっと待、え?
イヴの唇がそっと離れて頬に触れると、ようやくギャリーは言語を取り戻した。
「えっなっ、えっ!?イヴちょっ、なにしてるの…!?」
「ちゅー。」
「なこたわかってるわよぉッ!!」
つい声を荒げてしまってはっとしたが、イヴは全く気にしてないようだ。とろんとした目で、ちゅっちゅ。
「いや、ちょっ、何してるのってばちょっと、イヴ…っ!」
「だから、ちゅー。」
「やっ、だからっ…!なんでいきなりそんなことしてるの!」
「なんでって…。」
ぽかん、としたイヴはなんでそんなこと聞くんだろうという目で言った。

「ギャリーがすきだから、だよ?」

不意打ちの直球発砲は、ギャリーの胸を撃ち抜き呼吸を止めた。
隙のできたギャリーにイヴがぴょんっと飛びついてくる。9歳の身体はそう小さくない。結構な衝撃がギャリーを突き飛ばした。
「った…!」
ばしゃっ。イヴの手から落ちた缶チューハイがフローリングへぶちまかれる。
やだちょっと零れたじゃない。拭かないと。そう。思うのに。…自分の上に被さるイヴに見据えられると、金縛りのように動けなくなってしまった。
「イ…ヴ?」
「…ん。」
「やっちょっ、イヴってば…!」
ちゅ、ちゅ、ちゅ。マシュマロみたいな唇を押しつけては離し、その繰り返し。唇に頬に時折鼻先に、飽きもせずイヴは口づけ続けた。
啄ばみすらしないふわふわのキスを、何度も何度も。
子どもが親に甘えるような、そんな乳臭いキスだというのに…どうしてだろう。背筋が、ぞくりとした。
「っ…イヴ、やめなさ…。」
制止の声も、どことなく弱々しい。子ども一人押しのけるくらい容易いはずなのに、手足も指先もちっとも力が入らなかった。
おもむろに耳へと口づけられて、びくん、と目を細めた。
「っちょっと、イヴ…っ」
「…?なぁに?」
「もう…いいでしょ、おしまいにしましょ…っ?」
「おしまい?なんで?」
とろとろ。とろけたイヴの目には、ギャリーだけが大きく映っていた。
「わたし、ギャリーのことすきだよ?」
「それはうれしいけ、どっ…こんなのおかしいでしょ…?」
「おかしい?なんで?」
「だってイヴはまだ子どもじゃない…!」
「…こども?」

ぺた、とイヴが床に手をつく。ちょうどギャリーの頭の両脇に。
腕一振りで振り払えそうな小さな手なのに。
手をついて、被さって、じっと見下ろすイヴに…ギャリーは身じろぎもできなくなった。

「こどもだと、だめなの?」
まっすぐ、ギャリーを見つめる。
「こどもだと、ギャリーを好きになっちゃ、だめなの?」

「……イ…ヴ…?」
零れたチューハイが部屋中に香る。お菓子みたいな、アルコールの香りが。
ゆっくり降りてくるイヴの唇を、抵抗もできずに受け入れた。
ちゅ、と。さっきまでより少し吸いつくようなキス。ほんのちょっとだけカシオレの味がする。
言葉は出てこないのに。思考もまとまらないのに。ただ心臓だけが、大きく鳴り続けていた。
小さな腕がギャリーの首へ絡みつく。小さな額がギャリーの肩口に埋まる。ぞくっとギャリーの身体が疼いた。
なにを、するの、イヴ。
容易く振り払えるのに。振り払えない。


…しかしそれ以上イヴが動くことはなかった。
「……イヴ?」
問いかけても返事は無い。代わりにすぅすぅと寝息が聞こえてくる。
…寝て、る。そう確信すると、一気に全身の緊張が緩んだ。
「……っはーーーーー…。」
盛大な溜息と共に、ぐったり。
なんとか動かせる右手を持ちあげて、力なく額に乗せた。
「ホント…やめてよね…。なにしてんのよイヴ…。」


「―――なにしてんのよ、アタシ…。」
額の熱が、手の甲を炙る。









(きっとただの間違い。きっと。)

fin.



***

こちらもカクテルの名前。すごくまんまな名前になっちったけど。