夢を見るの。
一輪挿しの赤い薔薇に

茨の蔦が伸びてくる夢を。




「…?」
ふっと、意識が戻ったそこは保健室だった。
「…!イヴ、イヴ!大丈夫!?」
弾かれたように駆けよったメアリーが、私の手を取った。
それを見て、ああ、またやっちゃったんだ。と理解する。

中学校に上がったぐらいから、だろうか。
私は時々、立ちくらみのように倒れるようになった。
ふっと意識が途切れてしまう。痛みも苦しさもなから私はそこまで困ってはいないが。
…双子の妹のメアリーに、心配かけてしまうのが心苦しい。

「ごめんね…大丈夫だよ。」
せめて、と思ってそう言うけれど、曇る彼女の顔は晴れない。
だめだなぁ、もう。こっそりと私は溜息をついた。大切な妹にこんな顔させてちゃ、お姉ちゃん失格だ。


――イモウト?ホントウニ?


…その時。
背筋をびりっと痺れさせるような、冷たく無機質な声がした。
息を詰めて、思わず耳を澄ませるけれど、もうその声は聴こえない。
「……イヴ?」
メアリーの声で、はっと我に返った。
「どうしたの…?大丈夫?」
「…大丈夫。」
「嘘、顔真っ青だよ!ね、イヴもう今日は帰った方がいいよ。私もついていくから!」
「……ありがとう。じゃあ、そうしようかな。でもメアリーはちゃんと授業受けなきゃダメ。ね?」
でも…!と言い募るメアリーを優しく撫でてあげる。するとメアリーは渋々と口を閉じた。ごめんね、と私は微笑んだ。心配かけてしまって。そして、ズルいことをしてしまって。
メアリーにはちゃんと授業を受けてもらいたい。
それは本音。でも少し、建前。準備のいいメアリーが用意してくれた、通学鞄を持って私は保健室を後にした。

私は、恐ろしかったんだ。
入口で靴を履き替え、校門に向けて一歩踏み込む。
ひとけのない午後の日差しの中。じわりと暑い初夏の空を見上げていると…案の定、それは来た。
私は恐ろしかったんだ。
今の私がどんな顔をしているか、見られる事が。


――オイデ、イヴ。

それは、メアリーに秘密にしているもう一つの症状。
冷たく無機質な声がするの。私を、呼ぶように。







それから2週間。相変わらず倒れる症状は続く。
治まるどころか頻度は上がるばっかりで、心配した両親の勧めで検査入院をする事になった。
「やだ!イヴの傍にいる!学校なんて知らない!」
「我儘言っちゃいけないよ、メアリー。心配な気持ちはわかるけど、メアリーは学校に行かないと。」
「でも!でも…!」
お父さんに半ば引きずられるようにして、メアリーは学校へ行かされた。最近メアリーは私から離れたがらなくなった。元々べったりしてくる子ではあったけど、朝から晩までヒステリックな程に傍にいたがるようになったのだ。
一秒でも私から離れることを、恐れているかのような。
…どうしたんだろう。そんな子ではなかったはずなのだけど。私の、妹、は。
(………。)
私の、妹。私の、家族。
当たり前だと思っていた事。当然よね。物心つく前から同じ家で育ったんだもの。疑いようがない。
疑いようがない、はずなのに。
本当に?と、思ってしまうの。本当に私と彼女は、家族?
「…イヴ、ごめんね。お母さん、もう仕事行かないといけなくて。」
はっと見上げると、お母さんが申し訳なさそうに微笑んでいた。気づかなかったけれど、手に花束をひとつ抱えている。
「これ、さっきクラスのお友達が持ってきてくれたのよ。お見舞いにって。お昼に様子見にくるから、その時に活けてあげるわね。」
それじゃあ、またね。病室を後にするお母さんを、笑顔で見送って。
…お見舞い、かぁ。嬉しいな。ぱたんとドアが閉じてから、その花束に目をやった。


中身は、真っ赤だった。


「…!?」
びくっ、と思わず肩が跳ねる。声を上げそうになった口を押さえて、おそるおそるもう一度覗いた。
真っ赤。一面の、赤。花束の中身は一本残らず、赤い薔薇。
かたかた、と、指先が震えた。

夢を思い出した。気を失う度に見る夢を。
一輪挿しの赤い薔薇に、
茨の蔦が…

意識しなかった、まばたき一つ。
その一瞬で薔薇の花束が、一輪挿しの薔薇に変わった。


…目を、瞠った。
目を瞠る私の耳を、くすくす、笑い声がくすぐる。
冷たい声。無機質な声。加工されて歪められたかのような声。
ねぇ、あなたはだれなの?
あなたはどうして、わたしをよぶの?

――オイデ、イヴ。

その声に引き寄せられるかのように、私は薔薇の花に手を伸ばす。
棘で傷ついた指先から、血が一滴滴った。


その血がわっと床中に染みわたり。
一瞬で壁も床も全部、赤色に染め上げてしまった。

「…!!」
白い病院が一瞬で、赤に。
どういうこと、なの。きょろきょろ見渡す私の耳に、こつん、と靴音が届いた。
その音は病室のドアから。ばっとそちらを向いても誰もいない。閉まっていたはずのドアが、開け放たれているだけだった。
その奥の廊下を、
黒い、影が掠めた。服の裾のような黒い影が掠めて、行ってしまった。
「あ…!」
待って。待って!焦りが背中を押す。ベッドから飛び降りた私は、その影を追いかけて飛びだした。

理由はわからない。でも追わなきゃ。本能がそう叫んでいた。
オイデ、イヴ。あの幻聴の記憶が、囁いてくる。



廊下に出ても誰もいなかった。だけど私は走り続けた。
そう長くない廊下だったはずなのに、走っても走っても果てが見えない。
青空を見せていたはずの窓は、暗い青色に覆われていた。時折上がる泡、掠める魚影。まるで水族館の水槽のよう。
曲がり角が見えてきた。先刻と同じ影が、ひらりとそちらへ吸い込まれる。私は迷わず、角を曲がった。

並ぶ病室の小窓から、人影がこちらを覗いていた。口々に言う。ウソツキ、ウソツキ!
どうして。私はウソなんてついていないわ。さざめくそれを振り払うように私は走った。
一体何が嘘だというの。そう思った瞬間、ぐにゃりと足元が沈み込む。下を見れば、床一面が目玉に覆われていて私の足を沈めていた。驚いてよろけた私は壁に手をつく。すると手をついたところから、無数の黒い腕がわっと湧き出てきた。
「―――――ッッ!!!!」
声にならない声を噛み殺し、私は無事な床を踏んで、駆けた。

これは何?これは何?これは何!?
恐怖に怯える心が騒ぎたてる。人影がさらに喚きたてた。ウソツキ、ウソツキ!
腕はまだ追ってくる。足を止めれば、すぐさま床が目玉になる。
気持ちが折れそうになった頃、見えた曲がり角。見えた、影。…私は、追いかけた。


ねぇ。
あなたは言ったよね。

『ホントウニ?』

私はイヴ。中学1年生。
お父さんとお母さんと双子の妹と暮らす、平凡な少女。それが私の日常。
もしかしてそれが嘘なの?
駆ける廊下。駆けるうちに景色が歪み、描かれた絵のようになってきた。
『これは何?』それが嘘なの?
『あなたはだれ?』それが嘘なの?
歪む景色。描かれた景色。作られた景色。絵空事の景色。
ねぇ。ねぇ。なら教えてよ。
追いかける。追いかける。黒い影を。ひらめく裾を。

知らないと思っていた、貴方。

私に"本当"を、教えてよ。



…影が立ち止まった。
驚いた私が、足を止める。
赤い廊下の中で、黒い影が、後ろ姿で止まっていた。

影がゆっくりと振り返る。
破れたコート。癖のある短髪。ふわりとなびかせて振り返る。まるで逆光に立っているかのように、表情や服装はよく見えなかった。
佇む人影に私が一歩、近づくと。
人影はそっと手を差し出した。

『イヴ。』
冷たく、無機質な、加工された声。
手から転がり落ちる、キャンディ。
『イヴ。』

キャンディを受け取った瞬間。
頭の中で何かが、弾けた。
…ああ。開いた瞳孔に"彼"が映った。受け取った"本当"を、ぎゅっと握る。






思い出した。













「―――イヴッ!!」

鬱蒼と茂る青薔薇の蔦を切り裂いて、メアリーが踏みこんできた。手にはパレットナイフが強く握られている。
メアリーは床に横たわり眠るイヴと、
そこに寄り添う人影をきつく睨みつけた。
「…ッなんで、なんで今頃、今頃!!ずっとイヴにつきまとってたの知ってるのよ!!邪魔しないで!私とイヴの日常、邪魔しないで!!」
きんっと光るパレットナイフを、人影に突きつけた。
「私のイヴに、触らないでッ!!!」

人影は、
それを見てにこ、と微笑んだ。穏やかに、柔らかく。
「今なら、」
眠る少女を、そっと抱き抱える。
「アンタの気持ちがよくわかるわ、メアリー。」


「…もう、」
口端が歪に、吊り上がる。
「抑えることが、できないの。」
目を閉じて。抱えた少女の頭に、そっと唇を埋め。
「この子は、」
右の目をすぅ、と開く。


「アタシのものよ。」


…影と少女が、どこかへと溶け消えた。



笛吹き男とするアリス


fin.




***

イメージ曲…少年よ我に帰れ/やくしまるえつこメトロオーケストラ
これで終わる予定だったのですが、続き希望されたのが嬉しくて蛇足ながら続きます。