鏡・後編〜追跡と追謎〜 登場人物 阿木七鈴(あき なすず):主人公。             SS商社営業二課の副課長を務める23才。             仕事に厳しく、優秀であるが故に疎まれる事も多い。 袴田弘矢(はかまだ こうや):七鈴の後輩の22才。               やや不器用で、課内の一部の人間に馬鹿にされているが、気の弱さ故に逆らえないでいる。               自分を庇ってくれる七鈴にはとてもなついている。 引宮星呼(ひきみや せいこ):二課の27才の女性。               仕事振りも優秀で、気が利き、温和で慈愛に満ちた性格と非が無い。               七鈴とは色々とあって仲が良い。 大松篤紫(おおまつ あつし):探偵社で働く23才。               七鈴とは恋人同士だが、互いに忙しい為に中々会えない。               若干仕事を優先し過ぎるきらいがある。 四之崎頼一(しのさき らいいち):探偵社の社長。                 53歳と年は取ったが、探偵としての技量は失っていない。 鳥丸昂(とりまる すばる):探偵社で働く32才。              追跡の達人。 十田万夜(とうだ まや):探偵社で働く28才。             変装と運転が得意。 佐倉泰輔(さくら たいすけ):SS商社営業二課の課長である43歳。               大して仕事をしない割に威張っており、部下からの信頼も無い。               数人の取り巻きを従え、好き勝手にしているのは父親が国会議員だかららしい。               七鈴とは非常に仲が悪い。 朝の六時。 起きる時間は同じだが、七鈴の目的地は何時もとは違う。 『四之崎探偵社』 恋人の大松篤紫の職場だ。 消えてしまった篤紫の行方を調べるべく、仕事も休んでやって来た。 本来ならば未だ開いている時間では無いのだが彼女は此処の社長の四之崎頼一とは顔見知りであったので、篤紫が関わっている事もあって 特別に朝一での約束をして貰ったのだ。 裏口から入り、四階まで登る。 『社長室』と書かれた札の掛かった部屋をノックすると、扉が開いた。 「やあ、久し振りだね。」 「四之崎さん…お久し振りです。こんな朝早くに済みません…」 「いやいや、構わんよ。早速だが…詳しく流れを話してくれ。大松君が消えたとしか未だ聞いていないのでね。」 「はい…」 七鈴は今までの事を全て話した。 自分の職場が突然理想的と成った事。 最近の上司の引宮の言動が未来を知っているかの様である事。 篤紫に引宮の素性調査を依頼した事。 そして篤紫が携帯電話だけを残して消えてしまった事… 「ふむ…大凡は分かった。其の引宮という女性が大松君の件に関わっているのかは分からんが、確かに聞く限りでは怪しいな。」 「はい…」 「しかも携帯電話は君の家から発見されたと…事件の臭いしかしないな…」 四之崎は暫く考え込んでいた。 無理も無い。 引宮の未来予知と言い、篤紫の消え方と言い、非現実的な事ばかりで今回の事件は成り立っているのだ。 「取り敢えず…貴女と大松君の部屋を調べましょうか。先ずは彼の所在を明らかにし、其の後に本命を攻めましょう。」 「はい、分かりました。」 「現在手が空いている部下を何人か呼びます。調査費用は…引宮星呼の素性調査分のみ貰いましょうか。」 「良いんですか?篤紫の捜索でかなり御手を煩わせてしまいますけれど…」 「なあに、居なくなったウチの社員を探すんですから、此方で勝手にやると言う事でね。」 「あ、どうも有り難う御座います…」 「では外で少しばかりお待ち下さい。色々と準備が有るのでね。」 話は纏まった。 七鈴は言われた通りに外で待つ事にした。 30分後、そろそろ暇に成った彼女が路上の石ころを数え始めた時に四之崎は現れた。 見ると、何処から連れて来たのか部下らしき人を二人連れている。 「やあすまない、待たせたね。ほら、二人とも、彼女が依頼人の阿木さんだ。挨拶なさい。」 四之崎に言われて先ずは女性が一歩踏み出した。 「初めまして、私は十田万夜と申します。」 「はい、宜しくお願いします。SS商社営業二課副課長、阿木七鈴です。」 十田と名乗った女性は如何にも真面目そうな顔つきで、話し方もハキハキしていた。 何処かのエリートOLが似合いそうな雰囲気だが、柔軟性が求められる探偵が出来るのだろうか? そんな事を思いながらも、七鈴は何時もの仕事スタイルで挨拶をする。 肩書きは必要無いのだが、何時もの癖で言ってしまった様だ。 真面目人間同士、繋がる部分が有ったのか、十田と七鈴は互いを即座に気に入った。 次に出て来たのは、随分と冴えない男だ。 服はよれよれ、髪の毛もぼさぼさだ。 古い刑事ドラマに出て来そうな感じが漂っており、七鈴が少し苦手なタイプだ。 「あ〜どーも。俺は鳥丸昂ね。万夜チャンとは何時も組んでるんだ。宜しく。」 話し方も想像通りのだらだらとしたものだった。 七鈴は自分とフィーリングを感じた十田がこんな男と組んでいる事が信じられなかった。 「(佐倉元課長の時みたいに、しぶしぶ組んでいるのかしら…)」 勿論、口には出さなかったが、そんな考えしか浮かばない。 七鈴の心中を察したのか、不意に四之崎が話し出した。 「フフ、十田君はこう見えても変装の達人なのだよ。おちゃらけた人間も、堅苦しい人間も、何でも成り切れる。其れに鳥丸君も見た目で  判断しちゃあいけない。彼はウチの社内で一番の追跡のプロなんだ。相手がどんな手を使って撒こうとしても、必ず標的は逃がさない。  二人とも私が最も信頼している実力者だ。安心したまえ。」 「いえ…別に私は…」 流石は探偵社の社長と言った所か。 其れにしても意外なものだ。 根っからの生真面目人間に見えて、柔軟な変装の達人である十田万夜。 冴えない風貌だが、其の目は獲物を絶対に逃がさない鷹の様な鳥丸昂。 自らの思慮の浅さを思い知らされながら、七鈴は三人を自宅まで案内した… 「着きました、此処です。」 「よし、では早速調べるかな。」 未だ鍵も開けていない内から四之崎は二人の部下に指示を始めた。 十田がドアノブを調べ始め、鳥丸は辺りの様子を見ている。 「ええと…何を?中には入らないんですか?」 「ああ、先ずはドアノブに最近触れた人間がどれくらい居るかを調べているんだ。貴女の部屋に大松君の携帯電話が在ったのなら、少なく  とも誰かが中に侵入した事になる。其れが大松君本人か、以外かは分からないがね。」 「成る程…」 「ん、そうだ。阿木さん、最近訪ねて来た方は誰がいらっしゃいます?覚えている限りで良いので教えて下さい。」 ドアノブの調査結果と照らし合わせる為だろう。 四之崎の質問に、七鈴は幾つか答える事となった。 「…社長、ドアノブの指紋、全て検出しました。此処一週間以内では五人の人間が触れていますね。」 四之崎がメモをしていた手を止める。 未だ七鈴への質問は終わっていなかった様だが、ページを捲って最近の来訪者リストを出した。 「ふむ…先程頂いた阿木さんの指紋サンプルは当然として、他の四つはウチの社員の指紋とは一致しないな。来訪者も丁度四人。しかも宅  配サービスの人間や、セールスマン等ばかりだな…」 四之崎は頭を抱えている。 「どうしたんですか?」 「ん、ああ…阿木さん、どうもおかしいんですよ。大松君もなのだが、怪しい人間の指紋が出ないんですよ。」 「え…篤紫も来てないって事ですか?」 「ええ…まあ手袋でもしていれば話は変わりますけどね。因みに訪れた方で手袋をしていた方は?」 「いえ、居ませんでした。全員素手で、最後にドアを閉める時に一回触っただけの筈です。」 「指紋の数から見ても、間違い無いですよ、社長。」 「ですか…では中も少々お調べさせて頂きますかね。」 「はい、どうぞ。」 第一ラウンドは失敗に終わった。 四之崎は次に、室内の指紋及び足跡を調べるという。 鳥丸を外の見張りに残し、四之崎と十田が中に入った。 足跡が増えては困るとの事で、七鈴は玄関で待つ事となった。 「あの、鳥丸さん?」 「んあ?」 暇な七鈴は鳥丸に声を掛けた。 「すみません、最初は貴方を少し疑ってました。こんな人が探偵やれるのかなって…」 「あー、まあ気にしなくて良いッスよ。其れに、そう思って貰った方が俺的には嬉しいんで。」 「え?」 「だってさ、詰まりは俺が探偵に見えないって事っしょ?なら大成功じゃん。探偵に見えないヤツの方が探偵向きなんだし。」 「成る程…」 「流石にああちゃんとした会社とも成ると、依頼内容も結構危ないのとかも来るんスよ。ドコドコのダレダレを極秘で調べてくれーとか、  ナニナニ会社が怪しいから調べろーとかね。そういう時に、おいおいこんなヤツは探偵じゃねーよ、安心安心ってしてくれれば俺も安心  じゃん?今回のアンタの依頼だって多分俺が最後には引宮?だかを調べるんだろうし。」 「そうですね。そういう考えで見れば、確かに鳥丸さんは探偵が天職ですね。」 「はは…あんま褒められてる気がしねーけど、そゆこと!」 「阿木さん!ちょっと来て下さい!」 のんびり話していると、室内から十田の声がした。 「はい!鳥丸さん、面白い話を有り難う御座いました!」 「おー、んじゃ。」 鳥丸と別れ、室内に入ると、四之崎と十田が難しい顔をしていた。 どうやら調査が上手く行っていない様だ。 「あ、社長。」 「ん?おお、阿木さん。今面倒な事になりましてな。」 「どうしたんですか?」 「んー…ちょっと信じられないんですがね、足跡も指紋も、貴女のものしか出ないんですよ。」 「え…」 「クローゼットに携帯電話を入れるなら、最低でもクローゼットの前には立たなきゃならんのですが、其処にも無いんですよ、足跡。指紋  なら手袋で隠せますが、足跡は何を履いても残りますからな。有るとすれば、貴女と全く同じサイズの足の人間が侵入者って事に成りま  すが…」 「うーん…引宮さんも私より大きいですから、居ないですね…少なくとも私の知る限りの人では。」 「そうですか…ああ、後ですね、貴女からお預かりした大松君の携帯電話。」 「あれが何か?」 此処に向かう途中、車の中で七鈴は篤紫の携帯を四之崎に渡した。 十田が調べていたのだが、どうやら其れが一番の問題らしい。 「あれの指紋も調べたのですが…大松さんの指紋すらも出なかったんです。」 「え!?」 「貴女が昨晩に見つけて触った時の指紋と、今朝鞄に入れた時に付いたであろう指紋、そして社長に渡す時に付いたであろう指紋。計三つ  の貴女の指紋以外は出て来なかったのです!」 「そ…そんな…一体どういう事なんですか?」 十田は黙って首を振った。 篤紫の携帯は、幽霊が置いたとしか考えられない様な、不可思議な状況に囲まれていた。 元々、非現実的な事象で固められた事件だが、其の謎は調べれば調べる程に深くなって行く。 「ふう…此の仕事を始めて30年だが、こんな事は初めてだよ。何もかもがサッパリ分からん!」 「取り敢えず社長、大松さんの部屋も調べましょう。我々は有事に備えて担当した調査の過程を、何かしらの形でバックアップを取って保  存しています。其れが残されているかもしれません。」 「そう…だな。」 十田の提案で、四之崎の目が再び光る。 「よし、早速行こうか!阿木さん、貴女も来て下さいよ!」 「はい。」 七鈴はどうして自分も行かなくてはならないのか、少し疑問に思った。 探偵としての何らかのスキルを持っている訳でも無い。 だが、篤紫のアパートに近付くと、ようやく分かった。 「よし、着いたな。では阿木さん、早速頼みます。」 「はあ…」 合鍵だった。 まさかピッキングをする訳にもいかないし、そもそも其の技術を持っている者が居ない。 警察では無いので大家さんに鍵を借りて…なんてのも難しい。 下手に騒ぎに成って警察が出て来たりしたら大変だ。 こんな不思議事件、まともに取り合ってはくれないだろう。 だからこそ、合鍵と言う最も自然な手段が必要なのだ。 例の如くドアノブの調査から始まり、内部の足跡&指紋調査へと続く。 結局此方も手掛かりは得られなかったが、未だ調べる部分は有る。 バックアップの捜索だ。 少しでも調査が進んでいたのならば、何かしらの手掛かりに成る筈だ。 四之崎はパソコンの複雑なロックの解除に取り掛かり、鳥丸はリビング、十田は寝室の調査に入った。 七鈴はと言うと、四之崎の横でパスワードを一緒に考えさせられていた。 「篤紫の生年月日でも私のでも無いとしたら…付き合い始めた日付では?」 「…違う様だ。他には有りませんか?」 「其方でのコードネームみたいなのとか?」 「そんなもの在りませんよ…映画じゃ無いんですから。」 「うーん…なら…」 二人が先の見えない推理をしている頃、十田万夜はある発見をしていた。 「此処にも無い…何か…少しでも何か…」 探偵だからなのか、篤紫の寝室は非常にシンプルで、余計なものが何一つ無かった。 なので調査は難航していたのだが、不意に十田は違和感を感じた。 畳まれた布団の上に置いてあった枕、ほん少しだが、中央が浮いている。 枕の底に何かが入っているのだろうか。 脇のチャックを開け、枕カバーを取り外すと、出て来たのは携帯電話だった。 「…?大松さんの携帯電話は阿木さんが社長に渡した筈…此れは?」 何処かで…しかもごく最近見た事のあるデザインだ。 そしてふと気付いた。 「ええと…では篤紫の生年月日と私のスリーサイズを足して…」 「いや…此処はわしに怒られた回数とか…」 パソコンの前の二人の脳内はかなり限界の様だ。 そんなやや暴走しつつある二人の耳に、突然十田の鋭い声が刺さった。 「社長!阿木さん!」 「おっと…十田君、どうしたんだね?」 はあはあと息を切らせながら、十田は手に持った携帯電話を二人に見せる。 「む…此れは…」 「?」 七鈴は首を傾げているが、四之崎は気付いた様だ。 「…彼は?」 「居ません…何処にも…」 「彼って?」 何の気も無しに訊いた七鈴に、四之崎と十田は同時に答えた。 「鳥丸昂。」 篤紫の枕の中から見つかった携帯電話、其の持ち主はつい先程まで一緒に行動していた鳥丸昂だった。 「え…鳥丸さんが居なくなったんですか!?」 「ええ、しかも此の電話、大松さんの枕の中から出て来たんです。」 「何だと!?」 何もかもが有り得ない。 鳥丸が突然消え、彼の携帯電話だけが何故か来たばかりの篤紫の家の中から見つかった。 しかもずっと十田が調査していた寝室の、押入れの中の枕の中と言う意味不明な場所からだ。 「どうなっているんだ!此の事件は!どんどん謎が増えるばかりだ!」 「…」 十田も七鈴も黙っていた。 言う事が何も無いのだ。 結局、其の日は何も進展しないまま、謎だけを深めて解散と成った。 ―翌日 七鈴は日常に戻っていた。 朝六時に起床し、会社へと向かう。 タイムカードを押して出勤、自分のデスクに着く。 何時も七鈴は二課の誰よりも早く出勤する為、未だ室内はがらんとしている。 此の静寂が七鈴は好きだった。 ゆっくりと心を落ち着かせ、一日を乗り切る気合を高める。 「…」 昨日、解散の際に幾つか三人で決めた。 四之崎、十田は篤紫の記録捜索の続行、七鈴は勤務しながら引宮に動きが無いか見張る。 依頼人が自ら探偵の手伝いをすると言うのも妙な話だが、状況が状況だけに仕方が無い。 動揺しないよう、何時もよりも神経集中に時間を掛ける七鈴。 30分後、二人目の二課出勤者が来た頃にはどうにか落ち着いていた。 「お早う、袴田君。」 「あ、先輩!お早う御座います!やっぱ早いッスね〜」 「あら、袴田君も今日は珍しく早いんじゃない?」 袴田は何時も、遅刻ギリギリにやって来るのだ。 最近は今日の様に時々早い日が在る。 「そう言えば先輩!昨日は大変でしたよ〜」 「ああ、御免なさい。でも今日は昨日の分も頑張るつもりだから!」 「お願いしますよ?課長も副課長も休みなんて事態、普通無いんですから…」 「…え?」 七鈴は耳を疑った。 今、袴田は確かに「課長と副課長」と言った。 詰まり、昨日会社を休んだのは七鈴だけでは無く、引宮もと言う事だ。 「え、ええと…引宮課長も休んだの?」 「はい…昨日俺と神能さんが一番に来たんですけど、着いた丁度其の時に電話が在ったんですよ。で、出たら課長で、今日は風邪を拗らせ  たから休みますって。お陰で昨日の二課はてんやわんやで…偶々重要な連絡等が無かったので助かりましたけど…勘弁して下さいよ、ホ  ント。」 「え、ええ…気を付けるわ…」 先程落ち着かせた心はもう揺れていた。 昨日、七鈴は朝早くに引宮に電話をした。 会社を休む旨を伝える為だったのだが、其の時、引宮は自分も休むという様な話は全くしていなかった。 風邪の様子は無かったので、休んだ理由は確実に嘘だ。 七鈴が休むと知ってから、自分も休むと決めたのだろうか? そうだとすれば、自宅に居なかった時に訪問したかもしれない。 だとすれば… 「確かめなきゃ…」 嫌な汗が流れる。 やはり引宮は、何か危険な存在だ。 そして10分後、引宮が出勤した。 「お早う御座います。」 「お早う御座います、課長。」 見た目は何時もと変わらない。 当然と言えば当然か。 ぐらつく心を抑えながら、七鈴は引宮に近付いた。 「あら、七鈴さん。」 「お早う御座います。ところで課長、今日の昼、少し良いですか?」 「ええ、勿論。私も色々話したい事が有るし。」 表向きには何時もと変わらない会話。 だが、其の内では別の思惑が巡っていた。 引宮もまた、何かしら思う所が有る様だ。 そして、あっという間に昼休みに成った。 「星呼さん、貴女も昨日、休んだって聞いたのだけど…」 テラスで昼食のパンを食べながら、七鈴はいきなり訊いた。 「ああ…ええ。ちょっとね。」 「あの…私が朝、電話した時にはもう休むつもりだったの?」 「電話?あ、そ、そうね…ええ、そうよ。もう風邪が酷くって。」 「そんな感じしなかったけど…其れに、休む程だったのなら言ってよ!そうしたら別の人に掛けたのに…」 引宮は明らかにおかしかった。 珍しく言葉に詰まっている。 あまり攻め過ぎては危険なので、如何にも「親友として」の会話と思わせる様な言い回しを混ぜつつ、七鈴は会話を進めた。 「あと…さ、昨日…うちに来たりした?」 「…」 やはり来たのだろうか? 引宮の顔が曇り、何も話さない。 「もし…来たのなら御免なさい。病院に薬を貰いに行っていたから、留守にしていた時間が在ったの。」 「…」 「ちょっと混んでいたから長引いちゃって…若し其の時に来たのなら悪かったわ。」 七鈴はしっかりと言い訳を用意していた。 病気で休んでおきながら、外出がバレたとあってはまずい。 しかし、病院に行ったのであれば病人としては自然な行動だ。 「…も?」 「え?」 引宮が何やらぼそぼそと言っている。 「…も?」 「御免なさい、聞こえなくて…」 「四時間もって訊いているの!」 「!?」 引宮の顔は、今まで見せた事が無い様な恐ろしい形相だった。 一昨日に一瞬見えた悪魔の様な目、其のさらに数倍恐ろしかった。 「あ…ああ…」 「私…ずっと待っていたのよ?けれど…貴女は帰って来なかった…幾ら混んでいたと言っても、病院は直ぐ近くに在るし、四時間も掛から  ないわ…何をしていたのかしら…?ねえ!!」 七鈴の両肩を掴み、眼前で叫ぶ引宮。 恐怖から逃げ出そうにも、其の力は強く、離せない。 「本当よ…本当に病院に…」 「嘘は駄目よ!!私が知らないとでも思っているのかしら?昨日、病院はガラガラだったわ!ちゃんと確認したんだから…さあ!言い訳は  もうお終い!?」 「う…あ…」 もう駄目だ。 そう思った七鈴の脳内に、反撃の炎が宿った。 「そ、そうだわ!貴女こそどうなの!?貴女…風邪で休んだと言っていた割に私の家を訪ねたのかしら!?しかも病院を調べたりなんかま  でしちゃって!何?私のストーカーでもしてるの!?」 「其れと此れとは話が違うわ。」 「何処が違うのかしら!?貴女だってそうやって秘密を持ってる!私にだって秘密が有るのよ!」 「へえ…」 引宮に、先程までの勢いはもう無い。 だが、未だ何か有りそうな顔をしている。 「…七鈴さん貴女、私をストーカーとおっしゃるけれど…人の事言えるのかしら?」 「何を…」 「私の事、大松とか言う男を使って調べているんじゃないの?」 「意味が分からないわ。大松って誰。」 「…さっきも言ったけれど、私が知らないとでも思っているの!?」 「さあ?でも私は大松なんて男知らないわ。」 「ふうん…まあ良いわ。其の内はっきりするから。」 そう言うと、引宮は去っていった。 此処まで来たら決着させるのかとも思ったのだが、肩透かしだった。 取り敢えず、引宮は敵だと分かった。 七鈴は午後の仕事も自然に振舞いながら終わらせると、急いで四之崎探偵社に走った。 「はい、いらっしゃいま…」 「四之崎さんに繋いで!阿木七鈴が来たって!直ぐに!」 「は、はい!」 受付の女性は大慌てで電話を掛けた。 しばらくして到着した四之崎だが、其の顔は何かおかしかった。 「阿木さん…ですよね?」 「四之崎さん?」 「…此方へ。」 よく分からないまま、社長室に通された七鈴。 取り敢えず、今日の出来事を話した。 四之崎は終始黙って話を聞いていた。 「…が今日の全てです。やはりあの人は…」 「ええ、分かりました。ところで…」 「はい?」 四之崎はすっと立ち上がると、机の引き出しから一つの書類を出し、七鈴に差し出した。 「此れは?」 「大松君のパソコンの奥に保管されていた記録を印刷したものです。読んでみてください。」 「はい…」 どうやら四之崎達にも進展が有った様だ。 七鈴は書類を読んでみたが、よく分からなかった。 調査記録と銘打っては在ったが、開始一日目に今から引宮家に向かうとしか書いていない。 以降は全て白紙だった。 「え…肝心の部分が在りませんが?」 「見えませんか…其処には文字が書いてあり、私にも見えんのですが十田君は見えると言ったんですよ。」 「よく…分からないです。」 「私もだよ。何故十田君には見え、他の人間には見えんのか…何か法則が有るのかも知れないが、其れも分からんのです。」 「そう言えば、十田さんは?」 「…其処だよ。」 「え?」 「貴女は…本当に今日は初めて此処にいらっしゃったんですな?」 「ええ、どうしてそんな事を?」 「実はですな、貴女が此処に来たのも、先程の話をしたのも、私からすれば二回目なんですよ。」 「…」 「しかし、一つだけ違う。一回目の貴女は文字が見えたのですから。」 「…」 自分がもう一人居る? 七鈴の前に謎がまた増えてしまった。 だが、未だ終わらない。 「そして…十田君は、貴女が一人で帰るのを危険と思い、貴女を車で送って行ったのですよ。」 「そんな…馬鹿な…私は…」 「ええ、分かっております。反応を見ても、やはり貴女が本物の阿木さんなんでしょう…」 「直ぐに…探しましょう!十田さんは私の家を知っているんですし、道中の何処かに居る筈です!」 即座に出ようとした七鈴だが、四之崎は動かない。 「どうしたんですか!」 「無駄なんですよ、もう…」 「どうして!」 そう言った七鈴だが、次の瞬間はっとした。 四之崎が壁に掛けてあるコートのポケットから取り出したのは、一つの携帯電話だった。 状況から考えても、十田の物なのだろう。 「そんな…」 「貴女が来たと聞いて、直ぐに電話を掛けたんですがね…真横から音がした時、血の気が引きましたよ…」 篤紫、鳥丸、十田… 七鈴に関わった人間がもう三人も消えてしまった。 しかも全員、携帯電話を理解不能な状況で残して… 「四之崎さん…此の事件の調査はもう止めましょう…貴方まで消えてしまっては…」 「…ふう。」 四之崎はコートを着始めた。 「四之崎さん!」 「私はね、部下を三人も失ってるんですよ。此れが黙って居れますか?貴女のせいだとは思っとりませんから安心して下さい。私は最後ま  で此の調査を止めませんよ。」 「…」 七鈴は部屋を出て行く四之崎を止められなかった。 自分はもう、関わりたくない。 そんな考えが自分を縛るのだ。 今ではもう、引宮への恐怖が強過ぎる。 確かめはしたかったが、消えてしまいたくは無い… 「消えて…!?」 ふと気付き、咄嗟に右ポケットから携帯電話を取り出す七鈴。 掛けた相手は…四之崎だ。 今まで消えた人間は、自分と関わった後に一人に成ると消えた。 四之崎は正に、条件に一致する。 特に、事件を最後まで追うとまで言ったのだから、何にかは分からないが狙われる可能性は高い。 「お願い!出て…あ…」 僅かな願いも、儚く散った。 コール音が鳴ると同時に七鈴の左ポケットが震えだしたのだ。 恐る恐る手を入れてみると…やはり四之崎の携帯電話であった。 「どうして!?何なのよ!」 またも、携帯電話だけを残して人が消えてしまった。 何故、消える人間は携帯電話を残すのか? 何故、其れは身近な人間の元へと現れるのか? 消えた人間はどうなってしまったのか? 何もかもが分からない儘、成す術も無く帰宅し、ベッドに転がる七鈴。 社長が消えた四之崎探偵社はどうなるのか? 自分は、引宮と此れからもやっていけるのだろうか? そんな事を考え、呆ける七鈴の顔を、何時しか朝日が照らしていた… 明日から、また非日常的な日常が始まる… 後編・終わり。裏鏡・前編に続く