海自給油 1か月後期限切れ  翻る日の丸  インド洋北部のアラビア海。気温38度、強烈な日差しの中、海上自衛隊の補給艦「ときわ」の後方に、補給を受けるパキスタン海軍の駆逐艦が姿を見せた。艦橋から海自隊員が英語で針路や速度をトランシーバーで伝えると、パキスタン艦は「ときわ」の右舷に沿うように近づいてきた。2隻は12ノット(時速約22キロ)で並走する。その間隔は約40メートルだが、思ったより近い。  「洋上補給開始」の合図で、ロープが駆逐艦に向けて発射された。それを伝って燃料を送り込む黒いホースが、パキスタン艦に向かって伸びていく。給油口にホースが差し込まれ、大量の軽油が送られ始めた。「ときわ」の安全確保のため、後方には護衛艦「きりさめ」が待機、上空には、艦載ヘリが警戒飛行を続けていた。  パキスタン海軍は現在、海自の最大の支援先だ。昨年8月からの給油実績は40回に上り、活動参加国中最多だ。給油を受ける駆逐艦には日の丸が翻っていた。  現在、海自など6か国が参加する海上阻止活動(MIO)で、補給艦は日米英で4隻しかない。米英独仏など北大西洋条約機構(NATO)加盟国は、条約に基ずく有償提供だが、参加国すべてに無償給油しているのは日本だけ。活動に批判的な人たちは「海に浮かぶ無料のガソリンスタンド」と揶揄するが、テロ対策特別措置法の期限ぎれが迫る中で、乗組員たちは黙々と任務をこなしていた。  「ときわ」艦長の菅原貞真2佐(54)は「政治の決定に従うだけ。しかし、一人でも多くの国民に、我々がここで頑張っていることを知ってほしい」と話す。  給油は1時間で終了。パキスタン艦は指針を変えて持ち場へと向かった。まとわりつくような湿気と砂漠から運ばれてきた砂が舞う中、救命胴衣を着込んだ隊員たちは、したたり落ちる汗をぬぐった。  離脱の影響  海上阻止活動は、2001年9月11日の米同時テロを受け、アフガニスタンにおける「不朽の自由作戦」(OEF)の一環として始まった。テロリストの洋上逃亡、武器や麻薬など物資輸送ルートを封じ込めるのが目的だ。これまでに11か国が海軍部隊を派遣、パキスタンからアラビア半島南部、アフリカの角と呼ばれる大陸東岸まで東西約300キロ、日本列島がすっぽりと入る広大な海域で警戒監視に就いている。  各国が収集した情報に基づき、多国籍海軍は不審な船舶への無線照会や乗船検査を行ってきた。その数は無線照会約14万回、乗員検査約1万1000回に上る。過去3年間の無線照会数は04年の約4万1000回から05年は約1万4000回、06年には約9000回と大幅減ってきており、「監視の目が厳しく、現場海域で不審な船が減っている」(防衛省幹部)ことを物語っている。  こうした活動を支えているのが、海自による洋上給油活動だ。01年12月に活動を開始した海自は、これまでに11か国の艦船に対し約48万キロリットルの燃料を補給してきた。現在、洋上では、米・英・独・仏・パキスタンの5か国が15隻体制で警戒を続けているが、監視の目を緩めないためには、多国籍海軍の艦船が、常に洋上に展開している必要がある。補給艦はそのためには欠かせない存在で、燃料が少なくなる度に、艦船が港湾まで戻って給油していたのでは、広い海域で目を光らせることはできない。  多国籍海軍副指令官のウィンスタンレー英海軍准将は「海自から給油を受ければ、7日間は活動海域にとどまることができる」と話す。パキスタン海軍のハシャム准将も、「海自の補給がなくなれば、活動は40%減少する」と、海自撤退の弊害を強調する。  11月1日、活動の根拠であるテロ特措法は期限が切れ、補給艦など2隻の海自艦は現場から離脱する。 -------------------------     ------------------------- 海上自衛隊の補給実績 艦艇用燃料の国別補給回数 (2007/8/30現在) (去年8月から1年間) -------------------------     ------------------------- 艦艇用燃料 777回  パキスタン 40回       約48kL アメリカ  25 艦載ヘリ用 65回 フランス  21 燃料 約960kL ドイツ   10 水     119回 イギリス  7       約6530トン イタリア  3                   カナダ   2 ------------------------- 海上阻止活動のこれまでの 成果(公表分のみ) ------------------------- 麻薬    約12トン以上 武器    小銃500丁以上       弾薬12000発以上 拘束人員  50人以上